鉄道 | 北陸トンネル火災事故と列車火災対策


北陸トンネル火災事故

北陸トンネル火災事故は、1972年11月6日未明に福井県敦賀市の北陸本線敦賀駅-南今庄駅間にある北陸トンネルで発生した列車火災事故のことです。 午前1時9分頃、北陸トンネル内を走行中の大阪発青森行き501列車 急行「きたぐに」の11号車食堂車喫煙室椅子下から火災が発生。それに気付いた乗客からの通報を受けた車掌の車掌弁操作と機関士の非常停止措置により、列車は運転規定に基づいて直ちに停車しました。 乗務員は列車防護の手配を行った上で消火器等で消火作業を開始しましたが、火勢が強まり鎮火は不可能と判断したため、1時28分頃から車両の切り離し作業に取り掛かりました。火勢の激しさとトンネル内の暗闇で作業は難航。1時24分頃火災車両より後部を切り離した後、1時29分頃トンネル両端駅である今庄、敦賀両駅に救援を要請するとともに、引き続き火災車両より前部を切り離す作業に取り掛かりました。しかし1時52分頃熱でトンネル天井に設置されていた漏水誘導用樋が溶け落ち、架線に触れてショートを起こし停電したため、列車は身動きが取れない状態に陥ってしまいました。

列車火災対策

日本における地下鉄の火災対策については、地下鉄の創始者である早川徳次氏の功績を先ず挙げなければなりません。氏の尽力により上野~浅草間に昭和2年に開通した東京地下鉄道(現在の営団銀座線)の電車には、当時としては画期的な安全対策が採られていました。その代表的な対策が燃えない「全金属製車両」と、衝突事故を防ぐ「ATS」の採用です。戦後かなり経った時期まで旧国鉄ローカル線で幅をきかせていた木製客車の鋼製客車へ改造や全金属製電車の導入を決めた時期は私の記憶に間違いがなければ昭和28年で、ATS全面導入の決定に至っては地下鉄開通から実に35年も経った昭和37年です。鋼製客車への改造は木製客車が転覆して184名が死亡した「八高線列車転覆事故」(昭和22年発生)が、ATSの導入は信号冒進により160名が死亡した「三河島事故」(昭和37年発生)がきっかけとなってなされたもので、これら2つの安全対策は言わば共に尊い人柱を礎に立てられたものです。  これを考えれば、早川翁の考えは正に卓見とも言うべきもので、翁の功績は地下鉄だけに留まるものではなく、鉄道の安全に対する功績についてももっと評価されてよいのではないかと思います。翁の優れた見識によって平成6年に都営地下鉄浅草橋駅で起きた「ドア挟みによる人身事故」及び平成11年の「日比谷線脱線事故」以外に地下鉄乗客の身の上に見るべき事故は起きていません。日本の地下鉄は今でも世界で最も安全な乗り物なのです。

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